ToshinoriMaeno/Memo/H10について、ここに記述してください。
1. Hitac 10
立教大学理学部数学科の助手として採用された1969年
- しばらくはHIPAC-101 (ドラムメモリ計算機)で演習などを担当していた。
ほどなくHitac-10が入り、もっぱらこちらで遊んでいた。
- 島内先生の「システムプログラムの実際」が使えるようになるまで、どれくらいだったか。
最初は和田先生にお願いして、テキストエディタを動かしていただいたのだった。
- それを使って、Assy (日立製のアセンブラ)でコーディングしていた。
コアメモリだったのが幸いして、メモリにプログラムが残っていた。
そして、SPSが動いたあとはそちらで。
アセンブラによるコーディングにはずいぶんと時間をかけたが、 次第に高級言語とまではいかないが、BCPLやCのような書き方をしたくなっていった。
妥協して、マクロで書くということも行なった。(GPM, Stage2, Trac)
- Van der Pool さんの Lispを移植したのもこの辺りだたはず。
2. Plan
武市さんのPlanがMacc7で動いているのを知っていたので、もらってきて、 これを動かすことにした。(仮想命令のインタプリタを作るだけだから、簡単なはずだ。)
- ソースとオブジェクト(紙テープ)