1. 木村泉先生/莫迦話
N. H. K. の三人の著者による連載記事
- 共立出版 雑誌 bit 連載 1972年から、...
のちに、
- 「計算機科学の発想」 単行本 – 1981年5月
としてまとめられた。(連載の半数が納められている。) 著者お三方の本名は明かされていない。(知るひとぞ知る。だが今となってはどうか。)
著者らによる座談会の回が特に興味深い。 当時の背景を思いやりながら読むと、今でも面白い。(HさんとKさんのやりとりは漫才のよう。) お持ちでない方は図書館で探してみてください。
(計算機)専門家養成のためには「ボタン押し」から始める、だったかと。 ミニコンは裸の計算機に触れられる貴重な機会だった。
1.1. ミニコンの世界
木村先生が書かれたミニコン関連話にはイニシャル(H. K. 君など)で木村研関係者が複数登場する。
今回読み直してみて理解できたこともある。 愚痴を含め、楽しんで書いておられるのが伝わってくる。教訓も得られる。
背景になっている当時の環境を書いておく。 ミニコンとは 4K語から16K語程度の主記憶(コアメモリ、後に半導体メモリに置換え)をもつコンピュータをさす。
- 1語はおおむね16ビットである。
周辺機器(入出力)はテレタイプ(TTY 毎秒10字)と紙テープリーダ程度しかついていない。
- 紙テープによる入出力 (最大でも500字/秒) が中心で、HDDなどは標準ではなかった。 フロッピーディスク(死語か)すらなかった時代である。
操作盤(コンソール)にあるボタンを押して操作する・できる。
- メモリに直接書き込める。レジスターやメモリをランプに読み出せる。 プログラムの停止、実行もコンソールのボタンで指定できる。(break pointの設定はなかった。)
計算機の内部状態を見て確認できたのは貴重な経験だ。
「計算機言語第一」という講義があり、ミニコンNEAC 3200を利用した演習もあった。
1.1.1. メモリプロテクト騒動記
結論: 手抜きのハードウェアの相手をするには手間がかかる。(対応できる部分はまだまし。)
Hitac 5020 でも似たような話があったと思うが、思い出せない。
現在ではこんな話は自前で計算機を作るひとの間でしかできないだろう。 計算機設計が趣味というひとの登場を願う。
1.2. 教育
学科の学生には 「10年後でも役に立つ(陳腐化しない)教育」をということだったが、 実際にはどうなのか。分からない。
1.3. ワークステーション、UNIX、ネットワークの時代へ
1980年代からの30年ほどはハードウェアの性能向上がすざましくて、 並列処理以外のソフトウェア面での性能改善意欲を失わせるものだった。
ネットワークの有り難さを知った時期でもあった。